これまでの人生で何回か不意の別れを経験してきた。
その中でもひと際忘れがたい別れがあった。
それは私が30歳代の前半で、大阪の会社で営業マンとして何とか独り立ちし始めた頃のことである。
仕事上のクライアントで発注担当者であったMさんと出会った。
Mさんは私と年齢も近く、週に何回も商談することもあり、すぐ個人的にも仲良くなった。
Mさんは生まれつき足が悪く障がい者であった。
少し足を引きずるような不自然な歩き方になるのだが、しかしそんなことは微塵も感じさせないほどの快活さを備えた人だった。
仕事の上では生真面目で何事にも妥協することのない厳しい人だったが、何気ない世間話をしている時に見せる笑顔は子供のようで、弾けるような明るさがあった。
よく二人でご飯を食べに行ったり、コンサートに行ったりした。
何度か私の住むマンションにも遊びに来てくれて、一緒にミュージックビデオを観たりもした。
彼は尾崎豊の大ファンで、尾崎の色んな曲を私に教えてくれた。
尾崎について語り出したら止まらなかった。
知り合って何年かして、彼は大阪から東京に転勤になった。
私も当時週に2日ほど東京に出張しなければならない仕事を抱えていたのであるが、
お互い多忙で、ゆっくり会う機会もないまま1年ほどが過ぎた。
その時なぜそう思ったのか未だにわからないのであるが、ある夏の日私はMさんと飯を食おうと急に思い立ち、彼に連絡し、久しぶりに東京で会うことになった。
その日は彼の勤務先のあるJR田町駅近辺の居酒屋で待ち合わせをした。
私は久々の再会が嬉しくて、普段よりも酒がすすみ、よくしゃべった。
Mさんは全くの下戸なのだが、終始ニコニコしながら酔っぱらった私の話に付き合ってくれた。
私は嬉しくて楽しくて、飲めない彼を引っ張り回し、店を3軒もハシゴした。
友人の少ない私にとって、本当に何でも話せる、信頼できる人だった。
そして「これからもちょくちょく飯を食いましょう」と言って元気に別れた。
それからひと月ほど経った頃、不意に彼の訃報を聞いた。
晴天の霹靂だった。
月曜日、彼が何の連絡もなしに出社しないことを会社の同僚が不審に思い、夕方にマンションを訪ねて発見された。
休日の朝、洗濯物をベランダに干していた時に心臓発作を起こし、部屋のベッドに倒れ込んでそのまま亡くなった。
私は只々呆然として、悲しいという感情も湧いてこなかった。
自分の感情というものが無くなってしまったのではないかと思えた。
半年前のあの時、私は何か予感めいたものを感じていたのだろうか。
どうして突然彼に会いたいと思い、しつこく何軒もハシゴしたのだろう。
「もう会えないんだよ、今日が最後だよ」という神様の声が聞こえていたのだろうか。
だからあれほど離れがたい気持ちになったのだろうか。
それでも今でも間違いなく確信していることがある。
あの時彼に会って良かった。
あの時たくさん話ができて本当に良かった。
葬儀の日、彼はまるで穏やかに眠っているようだった。
私はその時もまだ悪い夢を見ているような気分で呆然としていた。
式の間じゅう終始気丈に振舞っていた彼のお母さんが彼の冷たくなった頬を叩きながら、
「ほら、おまえ、眼を覚まさんかい!はよ戻ってこんかい!」と何度も呼びかける声を聞いて、私は号泣した。
Mさん、あなたとは約30年前に不意にお別れすることになってしまったけれど、いまだにそれほど寂しいとも懐かしいとも思いません。
あなたとは時空を遡って、時々会っていますから。
私の記憶の中にあなたはずっと生きています。
私もあなたのように、誰かの心の中に永く生き続けられる人になりたいと思います。
初めて言いますが、私が未だに後悔しているのは、もっとあなたの尾崎に関する話を聞いてあげれば良かったということ。
当時私は尾崎にそれほど興味がなかったから、あなたが熱く語る話もどこか上の空だったと思います。
申し訳ないことをしましたね。
まぁそのうち私もそちらに行きますから。
また何軒もお店をハシゴしましょう。
その時に改めて尾崎の話聞かせてもらいます。
それまであなたもどうぞ私の顔を忘れないでいて下さい。
では、また。