春の雨

冷たい雨が降り止まない春の昼下がり、私はどんより暗い窓の外をぼんやり眺めている。

すると、にわかに自分の意識が少年の頃、四十年以上前の関西の実家で暮らしていた小学生の頃にタイムスリップする時がある。

あの時も、こんな憂鬱な雨の日に窓の外を見ながら、幼い私は一体何を想っていたのだろう。

あの頃も今と同じように自分の部屋で、かすかに聞こえてくる雨音を聞きながら、何とも表し得ない切なさ、寂寥感が心に沸き上がってくるのを感じていたのだろうか。

静かに、しっとりと降る春の雨の日に、なぜ人はたとえようのない孤独感に包まれるのだろう。

激しい雷雨の時には決してこんな心持ちにならないのに。

私も幾多の人々の例に漏れず、これまでの人生を、運命というものに翻弄されながら生きてきた。

まだ暫くはこの先の人生があるのだろうけれど、ひととき昔に帰りたい、あの頃の自分に戻りたい、そう思わせるきっかけを春の雨が運んできてくれる。

そうだ、今年の春の連休に、遠い昔、幼いころ暮らしたあの場所に帰ってみよう。

今よりも知恵も経験も無かったけれど、心だけは妙に鋭敏で、しかもそれは悲しいほど脆くて、何にでも素直に感動できて、いつも何かに傷つけられていた、あの頃の心象風景をもう一度自分の心に宿してみたい。

恥ずかしながらあの頃のわたしに、勇気を出して再会してみよう。

あの時の春の雨に、もう一度、傘もささずに打たれてみよう。

その時、あの頃の私は、現在の私に何と言って声をかけてくれるだろうか。

「おまえもすっかり歳を取ったね、かわいそうに。もう先の人生には夢も希望もないだろうね」と今の私を蔑んだ眼差しで見下ろすだろうか。

それとも、「何十年経っても、おまえは何も変わっちゃいないよ。あの頃の雨も今と同じように、冷たかったよ」と教えてくれるのだろうか。

路地の石畳に染み入るように降る雨は、まるで私の心の涙のように止むことを知らない。

 

・・・ということで、このGWに子供の頃暮らしていた兵庫県の町を訪れてブラブラしてきました。

すごく懐かしく癒された時間でした。