SAXに魅せられて。。。(最終回)

いよいよ発表会当日となる。

予定通り朝5時に起床。

手際よく身支度をして、会場へ出発する11時まで最後の練習をする予定。

いつもは物事に動じないというのか、鈍感というのか、はたまた投げやりというべきか

ことが差し迫ってもぼーっとしている人間が、今朝は妙に緊張して落ち着かない気分なのが、自分でもちょっと意外である。

あれだけ練習したのだから、「絶対失敗したくない」と強く思っているプレッシャーなのか、

はたまた普段通り演奏できる自信がさっぱり持てない焦りなのかよくわからない。

とにかく直前まで練習して、その感覚を保ったまま本番に臨むしかない。

会場では一切音出しできないので、家を出るぎりぎりまで未練がましく吹き続けた。

 

会場の銀座までは総武線で市ヶ谷まで出て、東京メトロ有楽町線へ乗り換え銀座一丁目駅で下車、四番出口を出てすぐである。

ビルの10階にあるライブスタジオに入ると、すでに職場のOBのIさんと後輩のT君がテーブルに付いて生ビールを飲んでいた。

参加費三千円を払ってわざわざ参加してくれた、私の心強い応援団である。

 

「どうも、わざわざ休日にご足労頂き有難うございます」

礼を言いながら席に着くと、

「あっ、どうも。どーですか?調子は? いや~、自信満々の顔してますね。」

すかさずいつも陽気なIさんが突っ込んでくる。

「いやもう緊張しすぎて吐きそうですわ」

「またまた~あなたは絶対緊張しません。そんなタマじゃありません。ねぇ、Tさん」

「そうね、この人が緊張することはないね、面の皮、象より厚いから」

二人とも言いたい放題である。

『そんなことないのよ。今日はメチャメチャ緊張してて、朝から貧乏ゆすりが止まらないのよ』心の中でそうつぶやきながら動揺を酒でごまかそうと、すかさず白ワインをオーダーする私。

 

全く耳に入ってこない他人の演奏に幾つか拍手を送っているうちに、あっという間に自分の順番が来た。

後方の控え席からステージに向かう間は、結構冷静な自分にやや安心する。

「よし、落ち着いてる、うまくやれる」

この状況でちゃんと自分を客観視できているという自信のようなものが頭をよぎった。

自分の名前とメッセージが司会者に紹介され、ピアノ伴奏が始まる。

出だしが肝心だ。

まず最初のフレーズを無事に乗り切りたい。

祈るような思いで吹き始める。

「落ち着いて、ゆっくりと、情感を込めて。。。」

ちょっと外すところはあったが、サビの部分は何とか無難に乗り切ることができた。

あとは難関のアドリブパートである。

そして7小節の間奏の後、勇んでキィに指を置こうとした次の瞬間、いきなり音がひっくり返った。

難しいパートに対する苦手意識から気持ちが焦ったのか、極度に固くなってしまった指がうまく動かず、最初の音を外してしまう。

完全に頭が真っ白になった。

 

一度正しい軌道を外れた指はなかなか修正できず、音は酔っぱらったおっさんの千鳥足のように頼りなく迷走する。

『くそっ、だめだ。。。』

何とかして立て直そうと試みたが、微妙な音程の狂いは最後の最後まで尾を引いた。

 

演奏は終わった。

ステージに送られる拍手は空しく響き、何か憐れな自分に同情されているかのように聞こえる。

大向こうを唸らせるような重厚なパフォーマンスをするぞという夢は儚く消えはてた。

私は聴衆に一礼したあと、がっくりと肩を落としてステージを降りた。

『あんなに練習したのに。。。』 圧し掛かってくる無力感、脱力感に呆然とする。

 

夢遊病者のようにテーブルに戻った私に、連れの二人は笑顔で言った。

「いや~よかった、よかった。前よりだいぶ上達しましたな」

「どこがぁ?途中からあんなに迷走しまくってたのに」私は力なく言い返す。

「あっそう?そんな間違えたように聞こえなかったけどねぇ。もともとああいう曲なんじゃないの?えっ、違うの? すごいうまいと思ったんだけどなぁ。。。ねぇTさん」

「そうですよ。たかだか3年くらいのキャリアであれだけ吹ければ大したもんですよ。

細かいミスなんて聞いてる方は全然気づかないですよ」

 

私は頭を抱えて嘆息した。

二人が果たして本当にそう思って言ってるのか、それとも私を慰めるために気を使ってそう言ってくれているのか測りかねた。

しかしながらこの二人の言葉が私を少なからず元気づけてくれたことは間違いない。

世紀の大失敗をしたような気分だった私の落胆を少し和らげてくれた。

 

『まぁいいや、これが自分の今の実力だもの、ヘコんでもしゃーない。

自分の不甲斐なさに腹は立つけど、また練習頑張って次回リベンジしよう!』

極めて単細胞な私はやおらすっくと立ち直り、前を向いた。

 

そしてこの後わざわざ休日に来てくれたお礼として近くの寿司屋で二人にご馳走した。

そこで私は冷酒を飲み過ぎてすっかり酩酊し、まるで先ほど自分が奏でた音のように

ふらふらの体になったのであった。