話題になっている映画「ボヘミアン・ラプソディ」を観た。
伝説のロックバンド「クイーン」の伝記映画で、わずか45歳で世を去ったボーカル、フレディ・マーキュリーの人生を描いている。
40年以上前の中学生の頃、私は深夜放送のラジオからよく聞こえてきたクイーンというバンドの楽曲に殆ど興味を惹かれなかった。
他のロックバンドとはちょっと毛色の違う変わった曲調や小難しそうな歌詞はそれほど嫌いではなかったが、当時15,6歳の私はボーカルのフレディ・マーキュリーの一種独特のビジュアルに相当の違和感を感じていたように思う。
特に彼の顔はどちらかというと私にとって嫌悪する対象で、あの口髭も好きではなかった。
そして白いタンクトップの衣装も見ていて気持ち悪かった。
もちろん誇らしげに露出させている大量の胸毛も同様である。
当時は何も知らなかったが、そういういでたちを見て、子供心に彼の中に「ゲイの匂い」を敏感に感じ取っていたのかもしれない。
自分とは相容れない世界の人という感覚があったためか、音楽にも素直に共感できなかった。
そういうわけで、私は現在に至るまでクイーンの音楽に興味を覚えたことも、自主的に聴こうと思ったことも無く、中学生当時に深夜ラジオでかかっていた数曲をわずかばかり聴き覚えているに過ぎない。
そんな私がこの映画を観て感動したのは、フレディをはじめとする登場人物そのものが虚飾なしに生々しい姿で描かれており、様々な葛藤や障害を乗り越えて、フレディやメンバーがクイーンというバンドの個性を確立し表現していく過程を共有できるからだと考える。
ミュージシャンそのものの魅力にこの作品が寄りかかっていない。
だからクイーンというバンドを全く知らない人が観ても、この作品は微動だにしない。
強烈な個性を持った天才、フレディ・マーキュリーが、自分自身の弱さや傲慢さやセクシャルマイノリティとしての孤独と向き合いながら心が離れてしまったメンバーたちと和解し、そして自らの生命を脅かす病気をも勇気を持って受け入れて前を向く姿に、観衆は哀愁に満ちた強烈な意志を感じる。
映画『ボヘミアン・ラプソディ』の圧巻のシーンは、1985年7月13日にロンドン郊外のウェンブリー・スタジアムで開催された「ライヴ・エイド」の有名なシーン。
アフリカ難民救済のための20世紀最大のチャリティーコンサートで、スタジアムを埋めつくす72,000人の観客の波が、フレディのパフォーマンスに合わせて荒波のようにうねる壮大なスケールで再現されている。
そしてまるで映画を観ている人間が、7万人が注視するステージの上に立っているフレディになったかのような錯覚に陥る、絶妙なカメラワーク。
世界のスーパースターだけが見ることのできる景色がリアルに体感できる、震えるような感動に包まれるシーンである。
主演のラミ・マレックは、白いタンクトップとスリムジーンズ姿で、今なお語り継がれる、この伝説の21分間のパフォーマンスを見事に再現している。
1991年11月24日、フレディはHIV感染合併症による肺炎のためケンジントンにある自宅で45歳で死去、晩年は、愛するパートナーのジム・ハットンと多くの猫たちに囲まれて過ごしたそうである。
この作品を観終わった時、自分が今までフレディに対して抱き続けてきた違和感は消えていた。
もっとフレディ・マーキュリーという人物の歩んだ人生を深く理解したい、
クイーンの音楽を改めてきちんと聴いて、そこに籠められたメッセージをより理解したい、
そう思うようになった。
私はこの作品を通じて、フレディ・マーキュリーという不世出の天才アーティストに、まるで街角ですれ違ったセクシーな女性に視線を釘付けにされるように、魅かれてしまったのである。