「習得する」という喜び

近頃、我ながら感心しているのが、サックスの練習と地理の勉強を毎日規則正しく続けていることだ。

会社から帰宅して一息つくとすぐ楽譜を拡げ、ヘッドフォンでピアノ伴奏を聞きながらサックスをおよそ30分吹く。

サックスは習い始めて4年になるが、自分でも驚くほど飽きない。

まだまだ瞬間的に音譜が認識できないし指も機敏に動かないが、吹いていると妙に楽しい。

「サックスは毎日吹かないとダメだ」とどこかで聞いたので、それをクソ真面目に守り、たとえ短い時間でも毎日吹くようにしている。

人並み外れて飽きっぽい性格の私としてはもはや奇跡としか言いようがない。

そしてSAXの練習が終わると次は机に向かい、最近始めた通信教育の「国内観光地理」のテキストを広げる。

「国内観光地理」とは日本の地勢や環境、観光地・観光資源の名称などの知識を習得するもので、テキストでは北海道から順に各地の観光資源などを覚えていく。

傍らに日本地図を常備して、テキストに出てくる名所旧跡の場所を地図で確認しながら進めていくのであるが、最近は老眼のせいで地図の細かい文字を追うのが面倒になり、地図ソフトを購入してパソコンの画面で必要に応じて地図を拡大しながら位置関係を把握するようにしている。

そして、これがまたけっこうおもしろいのだ。

ちなみに私は物心ついた時から「地理」というものが苦手で、頭の中で地理的な位置関係を正確に認識する能力は皆無だ。

「岩手県はどこ?」「埼玉県はどれ?」と白地図を見せられて訊かれても答えられないし、そもそも覚える気もない。

ましてや○○温泉が有名とか△△山は絶景だ、奇景だとか言われても一切興味がなかったのだ。

それがどういうわけか、もうすぐ還暦の声を聴こうかと言う歳になって、地理を学ぶのが楽しいと思うようになっている。

パソコン画面上の地図をあちこちウロウロしていると、何だか自分が実際にその場所を旅しているような気分になってくるのである。

今更ながらよく耳にする名所の地理的位置を改めて認識し、「へぇ~、こんな場所にあったのか」と気付く新鮮な驚き。

そして「この場所は実際に見てみたいな。よし、今度行ってみようか」と思うとき、なんだか旅心が強烈に唆られて、得も言われぬワクワク感が心の奥底から湧き上がってくる。

そんな感情に身を任せていると、あっという間に時間が経ってしまうのだ。

この講座を修了した時には、私の最低レベルの地理的認識能力は飛躍的に向上しているかもしれない。

長い間意識することを避けてきた私の地理コンプレックスがことごとく払拭されているかもしれない。

そんな想像をすると、自然とニヤけてくる.

人が時間をかけて何かを「習得する」ということは、人生においてこの上ない喜びであると思う。

なぜなら、幾つになっても、そこに未知の新しい自分が生まれることを発見できるからである。