10月の爽やかな晴天の休日、六本木の国立新美術館で開催されている
「生誕110年 東山魁夷展」に赴いた。
「生誕110年 東山魁夷展」は、風景の美しさを描き国民的画家とも謳われた東山魁夷の生誕110年を記念した展覧会で、ヨーロッパや京都の古都の面影を描いた風景画等約80点の作品を紹介しており、京都での開催は30年ぶり、東京では10年ぶりとなる本格的な大回顧展となる。
終戦前後に身寄りを亡くし、空襲で自宅も失って人生のどん底にいた東山魁夷は、絶望的な状況の中で、写生に出かけた際に自然の作り出す光景と自身の心の動きが重なり合うことに充実感を覚え、自分の心を投影した風景画を描くようになっていく。
シンプルで親しみやすい日本の風景画の数々を残したことで、「国民的風景画家」「国民的画家」と呼ばれるようになっていった。
私も子供の頃に、その一風変わった、重厚な響きを持つ名前だけは仄聞した記憶があるが、近年まで東山魁夷の作品など全く知らなかったし興味もなかった。
そもそも私には絵心というものが無いし、専門的知識もない。
絵画の良さなど何もわからないド素人である。
したがって東山魁夷の風景画家としての技量について、おこがましくもあれこれ語る言葉は全く持ち合わせていない。
しかしながら、少なくとも彼の絵を観る人の心の奥底に、ダイレクトに突き刺さってくる情感の波動は感じ取ることができる。
なぜだろう、東山の絵を眺めていると、あたかも自分自身がその描かれている風景の中に全く没入していく錯覚に襲われる。
私の目が、いつの間にか東山の目になって、現実の風景に対峙している感覚になる。
そしてその対峙している風景は、遠い昔どこかで見た懐かしさに溢れている。
我々が持つ「日本の美」の心象風景をそこに観るのである。
東山の絵を観る人の多くが抱くこの親近感、既視感こそが、彼が国民的風景画家と呼ばれる要因なのであろうか。
真摯に日本の美を愛しみ、これを伝えようとする東山の想いに我々の心は動かされる。
その画を前にすると、観る者の感情はさざ波のように穏やかになり、五感は研ぎ澄まされ、魂は自然の美に包含される至福に歓喜する。
そして我々は懐かしく、新しい「日本の美しさ」に邂逅することになる。
2018.10.24~2018.12.3
国立新美術館