私は小学生の頃、兵庫県の伊丹市というところに住んでいた。
阪急電車の伊丹駅から市バスに乗って20分くらい掛かる、あまり便利とは言えないところだったが、確かに2階の一戸建ての我が家の裏には田圃が広がっていた。
近くには小さな鉄工所があり、そこから絶えず異臭が漂ってくると母がぶつぶつ文句を言っていたのを覚えている。
飛行機の騒音はすさまじく、伊丹空港から飛び立ったボーイングが上空を通過すると家中の窓や硝子戸が鳴動し、テレビの音は完全にかき消された。
毎年夏の気配を感じると、幼い私の心は躍った。
家の裏の田圃の一画に小さな林があり、そこから蝉の音が響いてくる。
私は二階の窓辺に佇んで、入道雲が湧きあがる夏空をいつまでも飽きずに眺めていた。
「今年の夏休みこそ有意義に過ごさねばならない」という初頭の誓いも空しく、小学校の宿題は、日々先送りされた。
朝はたっぷりと寝坊し、朝ご飯を食べるとすぐ3歳下の弟と家の前の道で野球をする。
野球といってもどちらかが柔らかいゴムボールを投げて、もう一方がバットで打ち返すだけのたわいない遊びであるが、なぜか二人とも妙にその遊びを気に入って、日が暮れるまで夢中になって没頭した。
ある時私が投げた球を弟がジャストミートすると、ボールは3軒ほど先のOさんの庭に飛び込んで、ご主人が丹精込めて手入れしている庭木の枝をバキバキとへし折った。
私がしおらしく謝りながら球を回収に行くと、いかにもおとなしそうな主人が悲しげな目を向けて「こんなとこで野球したらあかんで、危ないから」とこみ上げる怒りを抑えるような口調で言った。
母はその時分家の庭で胡瓜や茄子を育てて、それを糠漬けにしていた。
子供でもあんまり暑いと食が進まない時もあるが、そんな時でもこの糠漬けでお茶漬けをすれば、さらさらと胃袋に収まった。
私は特に浸かりすぎた古漬けがお気に入りで、その独特のにおいと酸味がその年頃の旺盛な食欲をそそった。
今でも夏になるとあの古漬けの味と母をセットで懐かしく思い出す。
もうあんなおいしいものを作ってくれる人はいない。
私は野球をしていないときは、本や漫画を読んで一日を過ごした。
手塚治虫や藤子不二雄に憧れて、漫画家になりたいと真剣に思っていた。
小学校の前の文房具店で私が様々な種類のペン先やインクやケント紙を頻繁に買い求めるので、店のおばちゃんは「こんなもん、何に使うの?」と不思議そうな顔をしていた。
齢五十を過ぎても、8月半ばを過ぎるころになると、次第に心がざわざわと波立ち始める。
「もうすぐ夏が終わってしまう、大好きな夏が。。。」
私は何とも切ない心持になって、二階の窓から眼下の田圃を見下ろした。
降り注ぐ蝉騒にもかかわらず、あたりは静寂に包まれている。
夏の日盛りの陽光は、得も言われぬ寂寥でぽっかり穴が空いた私の心を奮い立たせるように力強く照らしていた。