五月晴れのゴールデンウィーク真っ只中、歌舞伎座の『團菊祭五月大歌舞伎』初日昼の部に赴いた。
歌舞伎鑑賞は三か月ぶりで、いつになく浮足立った気分である。
歌舞伎についてはまだまだ初心者だが、勉強のためにも年に4、5回はコンスタントに観るようにしている。
今回昼の部は、成田山開基1080年、二世市川團十郎生誕330年を記念した
通し狂言『雷神不動北山櫻』で幕を開ける。
歌舞伎十八番の「毛抜」、「鳴神」、「不動」の3演目が含まれた、成田屋ゆかりの作品である。
海老蔵が鬼気迫る圧倒的な存在感で5役を演じ、おそらく江戸歌舞伎の荒事の好きなファンには堪えられない舞台であり、もちろん私もそのファンの一人である。
海老蔵の切る見得の、その圧倒的な迫力に気圧され、総毛立つような高揚感に包まれる、
おそらくこれが海老蔵ファンが魅了される共通した理由ではないかと思うが、それは今回の舞台でも十二分に堪能できる。
今回は幕開きから海老蔵のちょっと長めの、ユーモアたっぷりの口上が楽しく、
自らこれから演じる芝居のあらすじの説明しながら期待感を煽っていく。
序幕で見せる安倍清行の軽妙な人物描写と所作、二幕目の粂寺弾正の豪放磊落で人間味あふれる人物像、さらに三幕目の北山岩屋の場では絶間姫によって次第に堕落していく鳴神上人を演じ分け、クライマックスの不動明王降臨の場へと観客を導いていく。
海老蔵の台詞回しはちょっと鼻に抜けるような声のせいで、あまり通るほうではないが、
様々な人物像を海老蔵流に味付けして演じ分け、それぞれにいい味を醸し出している。
しかしながら、海老蔵の真骨頂はそこにはない、と私は思う。
裏切られ憤怒の形相で怒り狂う鳴神上人や追い詰められた早雲王子の大立ち回りの間も、全てのものを射抜くような海老蔵の強烈な目力は、これでもかと言わんばかりに何度も何度も観客に向けて放たれる。
それは間違いなく歌舞伎役者になるために海老蔵に授けられた目力だ。
そして全ての所作、華麗な見得にみられる一種の『キレ』、
世の中の多くの人々を今も魅了する、あの「ブルース・リーの武道」、「マイケルジャクソンのダンス」に匹敵する美しくスピーディな『キレ』が海老蔵の所作にも厳然と存在する。
力強く、速く、そして美しい。
やはり市川宗家には“荒事”の血が脈々と流れている。
3時間にも及ぶ通し狂言にも拘わらず、いささかの退屈もなく、海老蔵の美しさ、カッコよさ、漲る迫力に感動し、大いに楽しむことができた。
ちなみに今回、絶間姫役の菊之助の所作も得も言われぬほど艶やかで、秀逸であったことをつけ加えておきたい。